中東研究者・池内恵氏に対する誤謬

唐突に再開してみる。

 

日付変わって昨日になるが、ニコニコ生放送の「国際政治チャンネル」というものを見た。そこに出演されていた一人がタイトルにある池内恵(いけうちさとし)氏だ。

彼について初めて知ったのは「ニッポンのジレンマ(NHK)」の2016年正月特番だったと思う。そこでVTR出演の形で、西欧圏とイスラム圏の間で争いが絶えないのは宿命でありそれを前提に世界を考えなければない、といった類のコメントをしており、その内容を巡ってスタジオで気まずくなるぐらいの意見衝突が起きた。(池内氏はその場にはいない)

対立を煽ることはやめるべきだ、安易な否定は池内氏の研究を軽んじている、というような意見の分かれだった。ここではむしろ後者の論者の方がエキセントリックに反応をしていた。前者は穏当な意見であるだけに、視聴者である私には過剰反応のようにも見えた。これがしばらく頭のどこかに引っ掛かっていた。

 

それから何度かメディア上で池内氏を見かけることがあり、そして昨日。

イスラムという宗教の中から一定(1万人に1人ぐらい?とか)、教義の一部の解釈によって、過激な思考に染まる人が出ていることは事実であり、そういった宗教であると認めるべきだ」という池内氏の主張が聞かれた。前述のVTR出演時の意見と併せて、これが池内節らしい。

この記事ではその主張の良し悪しを論じない。しかし、これは異端、かつ国際情勢の混迷を憂う人達にとっては受け入れがたい考え方であろう。

 

池内氏は同時に東大学者の権威主義傾向と多数派の硬直性(少数派の意見を頑なに認めない姿勢)についての批判もしている。

こうした権威批判や、見方を180度変えるようなオピニオンはネット上で非常にウケがいい。極端なスタンスほど引力が強く、無批判にそれらを丸呑みする「ネットde真実」的な世界観の人達が一定数存在するのだ。

 

池内氏の興味深い点として、かなり早い時期からトランプ氏の批判をしていたことが挙げられる。2015年~16年初頭のアメリカ大統領選の予備選段階で「トランプ旋風」といったワードも使いつつ、”ありえない候補”というような態度を示してきたのである。そしてその態度は今も変わっていない。

(簡潔に言って)イスラム教は危険性をはらむ宗教、世界から争いを絶やすことは出来ない、といった池内氏の主張はいかにもトランプ的であるし、昨今のエスタブリッシュ批判層や「ネットde真実」系の人達の”アリ塚的空間”がトランプワールドであることを思えば、池内氏が一貫して「トランプ批判派である」ということは彼を知る上で非常に重要な点であろう。逆にいえば、このあたりのスタンスについて理解しなければ彼について誤解をしている恐れがある。

しかしながら池内氏自身は、展開している持論がそうしたトランプ支持層との親和性が高い点についてどう考えているのだろうか?また、一見すると異なっている志向がどう接合されているのか興味がわいた。半分恐れつつ、彼の著作に触れてみようと思う。

 

今日はこんなところで。